|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 北 : [きた, ほく] (n) north ・ 時 : [とき] 1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment ・ 俊 : [じゅん] 【名詞】 1. excellence 2. genius ・ 房 : [ぼう, ふさ] 【名詞】 1. tuft ・ 流 : [りゅう] 1. (n,n-suf) style of 2. method of 3. manner of 4. school (of thought)
北条 時俊(ほうじょう ときとし)は、鎌倉時代末期の北条氏の一門。 延慶3年(1310年)7月の時点で、評定衆に在職しており国政に参画した。後醍醐天皇らの討幕運動(元弘の乱)では幕府方の武将として出陣する。 大仏高直らと共に、河内金剛山の千早城に立て籠もっていた楠木正成を攻めていたが、足利高氏の離反や六波羅探題の滅亡もあって軍は四散した。時俊は反幕府勢力への抗戦を諦め、元弘3年(1333年)6月、般若寺で出家し降伏した。翌建武元年(1334年)、北条氏の残党らによる鎌倉侵攻事件などがあった影響から、北条氏一族の徹底的な殲滅が強められることになり、高直や、北条貞宗、北条治時、長崎高貞らと共に京都の阿弥陀峰で斬首に処された。(『太平記』巻十一「金剛山寄手等被誅事付佐介貞俊事」) == 参考文献 == *『北条氏系譜人名辞典』(北条氏研究会 新人物往来社) *『尊卑分脈』(新訂 増補国史大系) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条時俊 (時房流)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|